偶然のチカラ (集英社新書 412C)
偶然のチカラ (集英社新書 412C)

 最近読んだこの本に「モンティ・ホール問題」というものが紹介されていて、狐につままれた感じというか、何か思考の裏をかかれた感じを味わったので紹介してみる。問題はこう。

 テレビのバラエティ番組で、回答者は3つのドアのうちのひとつを選ぶ。その背後のどれかには当たりの車が隠されている。あなたがもしAのドアを選択したとする。番組の司会者は、どこに正解の車が隠されているか知っていて、不正解のCのドアを開ける。そしてあなたに「このままAのドアでいいですか、それともBのドアに変えますか」と聞く。さて、あなたはAのドアのままでいるか、それともBのドアに変えるか、どちらが正しいのか。


 普通に考えるとAもBも確率50%でどっちを選んでも変わらないし、多分大方の人が「最初の選択を翻す」という行為を是としないで「そのまま」を選ぶのではないだろうか。最初の選択を翻して外した場合、精神的なダメージというのがより大きくなるというのもあるし、「考えたって確率は変わらないのだからコロコロ判断を変えずにそのまま行くべし!」というのが、人間的にも肝が据わっていて上等なように思える。が、この上等な選択というのが実は間違いで、「最初の選択を翻し、Bのドアを選択する」方が確率的には勝率は上がるのだという。「えー?だって、二択なんだから、2分の1でしょ?」と思うのだけれど、これはつまり最初の選択が「3つの中に1つの当たりがある」というのがミソになっていて、そこで3分の1の確率で当たりを引くより、3分の2の確率でスカを引く可能性の方が高いと考える。だからその状況からスカが一つ消えた時は、最初の「3分の2の確率で外れている」選択を放棄した方が、当たりを引く可能性は高まるのだ、ということ。うーん、そう考えると確かに合理的。この考え方がどうも座りが悪く感じられるのは、やはり「一旦下した決断を翻す」という行為への気持ち悪さが人間にはあるからなんだろうなぁ。

 競馬も普通に考えれば十何頭の中からスカを選んでいる確率の方が高いわけだけれど、本命馬を変えるという思い切った行動は中々とれない。「自分を信じて一貫性を貫く」のか、「自分は間違っていて当たり前」と思うのか…。考え出すとどっちもギャンブルに必要な資質であるような気がしてくるから困ってしまう。信じすぎても負ける、信じなさすぎても負ける。二つの舵を上手くとったつもりでまた賭ける。今日も博打が面白い。